少し前の日記
記録だね
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最近人対人についてよく考えている、あと感情の在り方とか、エモいって言葉の奥行とか、自分という聖域に触れるには?とかなんだろうね、答えがないものをずっと探り続けている。きっとこれは時間を持て余しているからなのだと思うけれど。それに考えることは苦痛ではないのでずっと頭の中でゆらゆら考えている。けれど頭の中がそれでいっばいになりすぎると行き詰っては最初からやり直し、の繰り返し。ゴールはない、たまにあっ、こういうことなのかなあ〜とは思っても確信めくものは当たり前だが何も無いので試すことも出来ずあやふやなまま終わってゆく。それじゃループじゃないか、と言われたらそれはそうだね、としか返せない。私はこのレールからずっと降りられず回り続けているのだ きっと多分それは今だけしかできない。いつか降りられるよ、降りられるでしょ?
日に日に心の隙間がなくなっていくのを感じる、休んでいるんだけど休んでいない感覚。将来を見る気なんかないけれど死んだら悲しむ人がかろうじているから生きている、そんな感じ。他人本意だね。でも人には迷惑かけたくないという思いからなのか人に依存することが出来ず結局アイドルやら音楽に依存してしまう。そうやってコンテンツや手の届かない存在に頼ることは会話を要さないから楽なのだ、相手は私を好かないし嫌いにもならないから。そんなんだから人を信じられなくなるのだ。私の落ち度じゃん、あー臆病だね、失うのは怖いんだ。でもそれはコンテンツにだってそうじゃない?なんだかよく分からなくなってきた… はい、やり直し。
綺麗に生きて綺麗に終わりたいと常々思うけど、それは子供なのだろうか、薄汚れた部分があるからこそ輝く部分もあるって知ってる、というか私は既に全体的に薄汚れてること気付いてる?気付いて認めてあげないと先に進めないじゃないか。そうでしょ?でも全てに灰がかってたら綺麗な部分はないんじゃ?うるせえ理屈じゃねえんだよ
頭の中で自分と対話
ずっと対話してる
人と関わって傷つくこと、傷つけてしまうこと、何回も何回もある。その度に死にたくなる 。私はなんて未熟なんだ、私にもっと深い受け皿と発信する声があれば、と相手はそんなことまで考えてないだろう所まで考える。深い場所まで行ってしまったら自覚していても容易にはあがってこれないんだ。そしてそれを何度も経験する度に私の皮膚は擦れて分厚くなるのではなく、傷口の範囲が広がってそこに延々と塩を塗り続けられる。
それでも、人を助けたいし救いたいと思ってしまうよ、私のようなゴミクズは他人を祈ることしか出来ないのだな。世界一信憑性のない祈りだね、ほんと懲りねえよなお前は、
死にたいと思いながら祈ることも許されるといいね、自分に。許されたあとはちゃんと幸せになろうと努力できるだろうか。
ああ、もう朝だ
2019.04.28