臆病なりのプロセス

 

 

思ったことを拾わなくなった。

前までは些細な感情変化もすべて文字におこしていたのに。

 

久々にブログを書くとなると、何を書いたらいいか分からなくてずっと右下のプラスボタンを押せずにいた。

 

なんせ、鈍感になったからだ。

繊細な感受性と引き換えに、自分のことを把握できるようになってきた。

 

これは社会を生き抜くために大事なことだしな。

と、自分に言い聞かせている。

 

自分自身の特性を理解することは、かなり便利である。

こういう時に緊張しやすい、気分が落ちやすい環境、自分の苦手な分野、顔のむくみの取り方。

 

自己理解が深まっていくと、自然と臆病になっていく。

私はこういう環境が苦手だから避けよう、多分これは無理なことだ。と、即席で分別するようになる。

 

これってなんだか悲しい。

けどその方が断然に生きやすいなとも思う。

 

恥をかくことも、失敗することも、怒られることも大嫌い。

この自己理解のおかげで、かなりの確率で上記の場面を避けられる。

 

一方で、挑戦する自分への憧れや、未知の世界へ飛び込むかっこよさを求めている自分もいる。

 

コツコツ貯めてきた自己理解をすべて捨てて飛び込む、という私と正反対な行動に胸を焦がしている。

 

私はずーっと週刊少年ジャンプの主人公を夢みてるんだろう。

 

変化が苦手でいつも安定を求めているけど、

今は新しい場所へと向かっている。

かっこいいヒーローとは程遠い、引きつった顔と、震える声で。

 

保険をかけながらでしか進めない。

やりたいことをやるには、私には安心が必要なんだ。

 

やっぱり、勇敢な主人公にはなれない。

でも、やりたいことをやる時の方法は、捨て身で立ち向かうしか方法がないわけじゃない。

 

臆病なりのやり方で攻略していこう。

結局これも自己理解の範疇だけどな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

お金と夢

 

 

私が決まって文章を書く時は、

涙も出ずに頭にもやがかかっている時か

気持ちを整理したり、区切りをつけたい時だ

 

9月から始まった仕事、入って2ヶ月で直属の上司が辞め、ひとりになった。

右も左も分からない。横のつながりもない中で、「できるだけだけ頑張らない」をモットーにただ淡々と仕事をこなした。

 

直属の上司がいないといっても、

毎日関わる先輩はいて、良い人もいれば上手く使われてるな〜と感じるひともいる。

 

格別辛いことはないはず、だけど

元々考えすぎる性格の私が無理やり考えないようにしていたらその限界はきた。

 

あーちょっとしんどいなーと身体が重くなる

それもまた見ないふり。

 

私は悩んでいるのだとおもう

ライターの仕事を本職にしたいけど、書く気力が月一以上にわかない事。稼ぐのは難しいこと。

今の会社で正社員になったら、今貰っているライターの仕事は出来なくなるということ。

それは嫌だ。

 

でも、今の仕事はすきだ

ただ非正規で給料と、仕事量や責任が非見合っていないのがつらい。

結局はお金だ。おかねがほしい。

 

夢を追いかけるということは何かを捨てることなのだろうか?

どちらも捨てきれない私はこのまま時間が過ぎていくだけなのか、

負の感情をエネルギーにしていた昔。

それを無くしたい、普通に働けるようになりたいと努力してたどり着いた今を否定するつもりは無い

私は頑張っている、とおもう

ただ納得ができないのだ。

 

今までの「選択」には納得出来ても

「結果」に頭を悩ませるなら、それは正しくなかったのだろうか。

いやちがうな、

 

お金はほしいけど、健康でいたい

また心身を壊したら、という根底にある恐怖がじぶんを押さえつけている気がする。

 

そこをやぶって、もっと、強欲に

怖がらずに進めたら何か打破できるかな

 

考えないという方法で、毎日のキャパを確保していたけれどそれじゃ先に進めないよな

 

まだ悩めるな、

怖がりたくない、怖がるなよ

 

手を掴む

 

9月に新しい職場になってから体調を崩すことが多くなった。慣れない環境だからだろうか、それでも人には恵まれていると思う。

環境が変わる度に、絶対1回は熱を出すという疑いが確信に変わったのでそれもまあ良かった。

 

職場環境は珍しい。よく言えば自由、悪く捉えれば放置。

それでいて急な要望も届くので何だか自分が海に漂う助け舟のような感覚がする。

ルーティンが組まれていないことにストレスを抱えた上司は今月末で辞めてしまう。

そして私の部署は一人になる。笑えてくるよね、入って2ヶ月で1人になるのだから。

不安で面談の時思わず涙が出たけれど、やりたいことがやれるってことだから!と励まされ、私の言いたいことが伝わっていないな〜と半ば諦めの笑顔で返事をするしか無かった。

 

でもそれからは吹っ切れた、仕事で好きなこと、自分の興味あることに挑戦できるというのはある意味貴重だなと思えるようになった。

ミスをすれば怒られ、無駄なものは生産するな、お金を考えろと圧を掛けられてきた前職と比べればはるかに羽が伸ばせている。

 

言われたことだけこなせばいいやと思っていた、企画出してねと言われた時そんなことしに来てないんだよなと思っていた自分に気が付いた。無意識の自己肯定は怖いなと思う。

 

ちゃんと創れるんだなーって、創りたいって言う感情が湧くことが嬉しい。

 

あと最近は文書を書く仕事を定期的に頂けて、

数年前の私の夢はひとつ叶ったのだなとしみじみ思う。

 

抑揚なく、波打つことなく生きることを望んでいたけれど、自分が選択したものに納得できるというのは生きる上でかなり大事な感覚だ。この感触を忘れたくない、満ち足りるような気持ちを、否定された時にちゃんと思い出したい。

 

暗い底に落ちた時、手に取れるものは結局自分の記憶や感覚からしかない。上から引っ張りあげてくれるのは音楽や外的要因かもしれないけれど、這い上がるための足場を作るのは内側にあるものからなんだと思う。

 

私には自信が無い、だからこそ経験をしないといけない。失敗も成功もすべては少し先の光のため、いやそんな難しい話でもないか、今後の自分の幹を少しでも太くしていくために。

選択できることは幸せだ、そのチャンスが来た時手を伸ばせる勇気をちゃんと持っていたいな。

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また春

 

また春が来た

毎年この季節が1番だめで、そういえば一、二年前もそんなようなブログを書いた気がする

 

春になると文章が書きたくなる

心の不安定さからしか創作できないのは私の短所で、逆をいえば書かない間はそれなりに安定していたというわけだ。自分が嫌になって泣いたり傷を増やしたりする回数が減って、依存対象がアイドルから恋人へ移行した。

情けないもんだな、とおもう。

でもある程度はしょうがないか、とも。

 

心の安定が誰かの手によって作られているものだなんて、何よりも不安定じゃないかと考えては自己嫌悪する日々だったけど、みんな何かしらに寄りかかって生きている人の方が多いのではないかな

その対象が人間でもそうじゃないにしても

 

甘ったれた考え方というか

だらけられているというか、

自分1人で生きているんだという顔をしていた2018年も結局はここの界隈の友に支えられ、かけられた言葉に泣いてしがみついていたんだなと改めて気付いたね、遅すぎる気付き。

希死念慮は周りの人からの好意や愛もなかったことにしてしまうんだなーと、とても反省するような気持ちと、感謝と、よく生き抜いたなという自分への労いという感じ

 

 

 

 

嫌いや苦手は、そのまんまのものと

変わっていくものと、変わって欲しくないと思ってしまうものがあって最後者は無意識な自己防衛が理由になるのかなーとおもう

 

春は嫌いだけど、誰かを思い浮かべる春はまあまあ好きになった

条件をつけて苦手を克服していくんだな

克服と言うより、許しかもしれない。

これもまた依存かな?

 

 

 

 

何はともあれ生きているよ

本格的な春はまたこのあとで、そしてまた夏を迎えるんだろうね、何かプラスの変化を持って迎えられたらいいなと思う

そしてココ最近は本を読めるようになってきた、これもプラスの変化

「きことわ」とてもよかったので微睡みながら読んでみて、電車に乗りながらとか。

 

 

 

今日もお疲れ様!

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自分の顔について

 

 

 

1年前くらいの下書きを公開する

今の自分の顔もすきじゃないけど、

容姿にそこまで取り憑かれなくなった。

 

でも今でもたまにこうなるから、

結局顔とか容姿って複雑だなー、って話

1年前の自分の背中を叩きながら公開するよ

 

 

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最近頑張って日記をつけている

日記は何も考えなくて済むからとても楽だ、感情の掃き溜め、ゴミ、嘔吐物。

 

自分の顔が嫌で嫌で化粧が終わってすぐなのにぐちゃぐちゃにした。涙はボロボロこぼれて頬にあとができた。光に照らされると涙の筋道が出来ていてちゃんと泣いたことがわかった、

泣いても泣いても顔は変わらないけれど目と鼻が赤くなっていつもより血色が良く見えた、涙をためた目はうるうるしていていつも泣いてればいいんじゃないの、と思ったりもした

 

わたしは自分の顔が本当に嫌い

他人の顔に優劣をつけること、褒めることもそれに加担するのだと知ってから無闇に顔が良い!とか叫べなくなった、褒められると嬉しいのだろうけれど容姿に関することって難しいなと思う、でなんだっけ、そう、だから私は他人の顔や体型、容姿にあまり触れないようになったし みんな容姿にとらわれないでね、と思っているけれど、そう思っている当本人が自分の顔が大嫌いでめちゃくちゃにしたいくらい気にしているのだから発言と思考と願望がひとつの線で結ばれることはとても難しい事なのだと気付いて落ち込んだ。

 

摂食でぶくぶく肉がついた顔、幅の無いツリ目、化粧映えしない奥二重、人中の長さ、目の位置の高さ、口の歪み、歯並び、汚い笑顔、唯一好きだった鼻も今気付けば丸っこくて小汚い。

 

いらいらして髪の毛を自分でバサバサ切った

不揃いの髪の毛が余計に汚さを助長していて、なんだかもうどうにでもなれよ、とおもった

どうにでもなれないから泣いているのに

 

 

 

写真を撮られることが怖い

妹は修学旅行で何百枚も写真を撮って帰ってきて、わたしのようにならなくてよかったねと心から思った。

 

 

 

 

 

誰かに慰められたいわけでも、肯定されたいわけでもなく、ただただこの悲しみの底に、これ以上奥行きがありませんようにと祈っているのだ

 

 

 

 

 

 

生理

 

どうしようもなく辛いので記録しようと思った、生理の話

 

高校を卒業してから生理が重くなった

生理前後に不安定な気持ちになるようになった

それがどんどん悪化しているような気がする

大事な人だとわかっているのに

この悲しみや辛さを伝えずにいられない

もしくは

悲しみを隠しきれず相手に気を使わせる

 

この辛い気持ちとかあまり言わないようにしてるんだ、と

恋人にさりげなく言ってみたら

ありがとね、と言われた

 

良い意味だよと言っていたけれど

釣り針が喉に引っかかって取れない感じがする

 

あまりに死にたくて、半年ぶりに我慢していた傷ができた

彼は知らない、私がこんなになってるのも知らない

 

0は生理前になるとイライラが伝わってくる

不機嫌になるのが嫌だと言われた

本気で言ってる感じではなかったけれど、

私はそれでさらにイライラした

 

涙も止まらないし、

産婦人科に行ってみようかな

 

毎月毎月これじゃしんどいよ

生理はクソ