また春が来た
毎年この季節が1番だめで、そういえば一、二年前もそんなようなブログを書いた気がする
春になると文章が書きたくなる
心の不安定さからしか創作できないのは私の短所で、逆をいえば書かない間はそれなりに安定していたというわけだ。自分が嫌になって泣いたり傷を増やしたりする回数が減って、依存対象がアイドルから恋人へ移行した。
情けないもんだな、とおもう。
でもある程度はしょうがないか、とも。
心の安定が誰かの手によって作られているものだなんて、何よりも不安定じゃないかと考えては自己嫌悪する日々だったけど、みんな何かしらに寄りかかって生きている人の方が多いのではないかな
その対象が人間でもそうじゃないにしても
甘ったれた考え方というか
だらけられているというか、
自分1人で生きているんだという顔をしていた2018年も結局はここの界隈の友に支えられ、かけられた言葉に泣いてしがみついていたんだなと改めて気付いたね、遅すぎる気付き。
希死念慮は周りの人からの好意や愛もなかったことにしてしまうんだなーと、とても反省するような気持ちと、感謝と、よく生き抜いたなという自分への労いという感じ
嫌いや苦手は、そのまんまのものと
変わっていくものと、変わって欲しくないと思ってしまうものがあって最後者は無意識な自己防衛が理由になるのかなーとおもう
春は嫌いだけど、誰かを思い浮かべる春はまあまあ好きになった
条件をつけて苦手を克服していくんだな
克服と言うより、許しかもしれない。
これもまた依存かな?
何はともあれ生きているよ
本格的な春はまたこのあとで、そしてまた夏を迎えるんだろうね、何かプラスの変化を持って迎えられたらいいなと思う
そしてココ最近は本を読めるようになってきた、これもプラスの変化
「きことわ」とてもよかったので微睡みながら読んでみて、電車に乗りながらとか。
今日もお疲れ様!