臆病なりのプロセス

 

 

思ったことを拾わなくなった。

前までは些細な感情変化もすべて文字におこしていたのに。

 

久々にブログを書くとなると、何を書いたらいいか分からなくてずっと右下のプラスボタンを押せずにいた。

 

なんせ、鈍感になったからだ。

繊細な感受性と引き換えに、自分のことを把握できるようになってきた。

 

これは社会を生き抜くために大事なことだしな。

と、自分に言い聞かせている。

 

自分自身の特性を理解することは、かなり便利である。

こういう時に緊張しやすい、気分が落ちやすい環境、自分の苦手な分野、顔のむくみの取り方。

 

自己理解が深まっていくと、自然と臆病になっていく。

私はこういう環境が苦手だから避けよう、多分これは無理なことだ。と、即席で分別するようになる。

 

これってなんだか悲しい。

けどその方が断然に生きやすいなとも思う。

 

恥をかくことも、失敗することも、怒られることも大嫌い。

この自己理解のおかげで、かなりの確率で上記の場面を避けられる。

 

一方で、挑戦する自分への憧れや、未知の世界へ飛び込むかっこよさを求めている自分もいる。

 

コツコツ貯めてきた自己理解をすべて捨てて飛び込む、という私と正反対な行動に胸を焦がしている。

 

私はずーっと週刊少年ジャンプの主人公を夢みてるんだろう。

 

変化が苦手でいつも安定を求めているけど、

今は新しい場所へと向かっている。

かっこいいヒーローとは程遠い、引きつった顔と、震える声で。

 

保険をかけながらでしか進めない。

やりたいことをやるには、私には安心が必要なんだ。

 

やっぱり、勇敢な主人公にはなれない。

でも、やりたいことをやる時の方法は、捨て身で立ち向かうしか方法がないわけじゃない。

 

臆病なりのやり方で攻略していこう。

結局これも自己理解の範疇だけどな!