互いの手

 

 

私は結局仮想空間の中でしが生きられない人間なのかもしれない。もっと欲を言うと人間になりたくない。変なことを言うようだけどずっと思ってる事だ、どっかしらの汚染された人魚 地上の空気は1分しか吸えないの なんてふざけたことを吐かすような頭がパッパラな、それでいてとても真面目な生き物になりたい

 

 

 

 

美しいものを美しいと例えるとき、その言葉の種類は様々だ。

 

星のような視点、紫がかった水平線、徐々に輪郭を帯びてゆく三日月、泡沫の羽、青い炎、艶やかな森

 

これは全部人に例えられる その人の持つ雰囲気や言葉の裏にはこのような情景が浮かんでいる 私の中では間違いなく 比喩でもなく 脳裏にちゃんと再生されるのだ

 

 

 

 

 

 

 

綺麗な言葉の裏には 吐瀉物のような執念があったりする 当たり前だ、代償というものは必ずある。だってしょうがない 仕方なく人間に生まれてしまったのだから汚い部分もそこにある。

ただそれを吐くのか、飲み込んで自分の中にぐるぐると混ぜ込んで誰にも形容できない色を作り出すのかは人それぞれだ。

 

 

 

 

 

綺麗なものを綺麗だと例えるには、その裏に代償があること。推しグルだってそうだろう 血のにじむような砂を噛んで含めるような思いを美化して生きる姿に、あるいは刺にして人を殺していく姿に、心を撃ち抜かれたり あるいは穴を埋めてくれたりするのだろう。

 

 

 

 

 

 

現実では、なかなかそれがうまくいかない

 

なんて言ったって現実だから、

息をして電車に乗ってああ今日も愛想笑いを浮かべてこの隣の人早く死なねえかななんて思いながら生きるしかないんだろう、美化なんてそうそうできやしない

 

 

 

 

 

 

だからこそこの汚点を美化する術がこの場所なんだ

 

辛くて苦しいなんて、まあありきたりな苦味を表す言葉は、成功という経験がないとあの時はああだったけどそれも大切な経験だなんて言えない。

 

 

 

けれどお察しの通り私はまだ成功という経験をしていない、ただ幸いにこの苦味も自分の色にしてゆく術は既に手の中に入っている。

 

 

 

誰かに向けての言葉は、自分の色から綺麗な部分を抽出したものだ そりゃ幸せな気持ちになってほしいからね

 

ただ一緒に苦しみたい時、この今すぐ命を終わらしてしまいたいような気持ちを共有したい時 私はどんな色の言葉を出すのだろう。まだ綺麗な言葉しか出せないのか?

それがまだ曖昧だから届く人に届かず自己解決、エゴで終わるのだ。エゴでしかない。それもそれでいいのだけど。

 

 

 

 

 

 

 

私は弱い人間だけど強がる人間でもあるから

その愛おしさにただ縋ることしかできない

 

 

 

誰かがあなたが救いの手を伸ばしているようで実は救いの手を待っていても、お互いが手を繋げばそれは尊い愛だ、という言葉をくれた。

 

あぁ、そうだなあ。

 

 

 

 

誰かへの愛は決して依存ではない

むしろさらりとした、一瞬踏んでしまったら壊れちゃうようなそんな泡沫の感情。特に匿名なら尚更。

愛という言葉の重さは人それぞれである。

貴方の〝愛〟という言葉の価値と 私の価値は違う。悲しいけど 当たり前のことだ。

 

 

ただ私はちゃんとそこに祈りがあるよ

 

 

 

 

 

 

私はこれからも言葉を残すだろう

ある種の遺書でもあるから。

 

 

 

 

その先に残るものがなにか、

私はまたその色を見つけだしながらその日が来るまで時に死のうとしながら生きてしまおうと思う。

 

 

 

 

 

 

今日も生きたよ