海獣の子供

 

 

 

 

 

海獣の子供を見てきた。

 

 

前々から見たいなと思いながらも様々な理由をつけて中々映画館に足を運べなかったのだが、明日から雨続きの予報ということでこの身体がさらに重くなる前に行ってしまおう!と家を出た。

 

 

元々自分はあまり映画が得意ではない。好きな映画は?と聞かれても「千と千尋の神隠し」としか答えられない程。(あ、後ハリーポッター)せっかちで2時間弱も持たない集中力が原因で、起承転結のペース配分を自分で決められないことが性に合わなかった。だから予告で満足してしまうんだろうなぁ、と思う。

 

 

けれど今回は予告では足りない!と思った。画面いっぱいに埋め尽くされる青と光、それに乗せて流れる米津玄師の歌は幻想的でスクリーンで見ないといけないような気がした。口コミは「意味がわからなかった」という意見をよく目にしたけれど、簡単に理解できない美しさほど最高なものはない、と更に惹かれた。

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、ドンピシャだった。

そして少しだけ疲れた。

 

 

 

 

この“疲れた”というのはそのままの意味ではなくてあまりにも壮大且つ美しいものを長く目にしていると、今自分がいる場所とのギャップを感じて変に嫌な現実感も付加される。それが何だか疲れるのだ。誰かわかるかなぁこの感覚。

 

 

 

 

ただ本当に圧倒された。ストーリーとしては確かに難解ではある。セリフもどこか継ぎ接ぎで現実味のない言葉がぽんぽん出てくるのだ。

 

 

とても好きだったのは、中性的な雰囲気が特徴の海洋学者アングラードがある人が消滅する音を(ネタバレになるので控える)耳にした時の

→「星が死ぬ音がする、698.45Hzの音」

「この世界は、深海を埋める貝が吐き出す夢なのかもしれない」

 

 

という言葉など、会話として成り立たないような言葉の羅列がとても美しかった。継ぎ接ぎだからこそ誰かの夢の記憶を掻い摘んで覗いているような心地良さがあった。

 

 

後半に進むにつれてあまりにも壮大さが増していくため、かなり形而上学的な話ではあったが、私は元から幻想文学が好きなのでその点でドンピシャだったのだろうと思う。

 

 

 

 

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この映画は分かろうとすること、理解をすることが全てではない。

ただ流れてゆく絵画を誰かの夢の記憶を伝って見ているよう。瞳が雄弁で、光と誕生がそこにある、それだけで十分なのだろうと、エンドロールで流れる海の幽霊を聴きながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

「離れ離れてもときめくもの
叫ぼう今は幸せと
大切なことは言葉にならない
跳ねる光に溶かして

 

星が降る夜にあなたにあえた
あのときを忘れはしない
大切なことは言葉にならない
夏の日に起きた全て
思いがけず光るのは 海の幽霊

風薫る砂浜で また会いましょう」

 

米津玄師/海の幽霊

 

 

 

 

 

 

 

自分の解釈で満足したので、今度はパンフレットでも買ってこようかな。みなさんも良かったら見てみてね。

 

su

 

 

 

 

 

 

 

熾烈だった一日を慰める闇まで眠るこの夜

数百回僕を吐き出してね、あなたが苦しむから

僕はあなたの人生の片隅のひと切れであり

あなたの感情の友、時には家族

 

 

 

時々しばらく休みたい時

一緒にいるのに寂しさに埋もれる時

思い出に酔ってまた誰かを吐き戻す時

その時初めて僕は貴方の音楽になった。

 

 

そう私は誰かには春、誰かには冬

誰かには最後、誰かにははじまり

私は誰かには幸せ、誰かには魂

誰かには子守唄であり時には騒音

 

 

 

共にするよ、貴方の誕生と終わり

どこでも一緒だということを記憶して、

いつでも貴方の人生を慰めるから

 

どうかたまには僕に寄り添って休むように。

 

 

 

 

 

 

 

 

_________LeeSoRa/Song request (feat.SUGA)

 

 

 

独り言

 

 

少し前の日記

記録だね

 

 

 

 

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最近人対人についてよく考えている、あと感情の在り方とか、エモいって言葉の奥行とか、自分という聖域に触れるには?とかなんだろうね、答えがないものをずっと探り続けている。きっとこれは時間を持て余しているからなのだと思うけれど。それに考えることは苦痛ではないのでずっと頭の中でゆらゆら考えている。けれど頭の中がそれでいっばいになりすぎると行き詰っては最初からやり直し、の繰り返し。ゴールはない、たまにあっ、こういうことなのかなあ〜とは思っても確信めくものは当たり前だが何も無いので試すことも出来ずあやふやなまま終わってゆく。それじゃループじゃないか、と言われたらそれはそうだね、としか返せない。私はこのレールからずっと降りられず回り続けているのだ きっと多分それは今だけしかできない。いつか降りられるよ、降りられるでしょ?

 

 

日に日に心の隙間がなくなっていくのを感じる、休んでいるんだけど休んでいない感覚。将来を見る気なんかないけれど死んだら悲しむ人がかろうじているから生きている、そんな感じ。他人本意だね。でも人には迷惑かけたくないという思いからなのか人に依存することが出来ず結局アイドルやら音楽に依存してしまう。そうやってコンテンツや手の届かない存在に頼ることは会話を要さないから楽なのだ、相手は私を好かないし嫌いにもならないから。そんなんだから人を信じられなくなるのだ。私の落ち度じゃん、あー臆病だね、失うのは怖いんだ。でもそれはコンテンツにだってそうじゃない?なんだかよく分からなくなってきた… はい、やり直し。

 

 

 

 

 

綺麗に生きて綺麗に終わりたいと常々思うけど、それは子供なのだろうか、薄汚れた部分があるからこそ輝く部分もあるって知ってる、というか私は既に全体的に薄汚れてること気付いてる?気付いて認めてあげないと先に進めないじゃないか。そうでしょ?でも全てに灰がかってたら綺麗な部分はないんじゃ?うるせえ理屈じゃねえんだよ

 

 

頭の中で自分と対話

ずっと対話してる 

 

 

 

人と関わって傷つくこと、傷つけてしまうこと、何回も何回もある。その度に死にたくなる 。私はなんて未熟なんだ、私にもっと深い受け皿と発信する声があれば、と相手はそんなことまで考えてないだろう所まで考える。深い場所まで行ってしまったら自覚していても容易にはあがってこれないんだ。そしてそれを何度も経験する度に私の皮膚は擦れて分厚くなるのではなく、傷口の範囲が広がってそこに延々と塩を塗り続けられる。

それでも、人を助けたいし救いたいと思ってしまうよ、私のようなゴミクズは他人を祈ることしか出来ないのだな。世界一信憑性のない祈りだね、ほんと懲りねえよなお前は、

 

 

死にたいと思いながら祈ることも許されるといいね、自分に。許されたあとはちゃんと幸せになろうと努力できるだろうか。

 

ああ、もう朝だ

 

 

2019.04.28

遷り変り

 

 

 

 

最近すごく暑い。春が近づいているなあ、と思った頃にはもう初夏だったりする。何故気づかないんだろう?いつもその場所に慣れるまですごく時間がかかる、ようやく次のものをと手にしようとした頃にはあっけなく指の隙間から零れ落ちている。

私はこの曖昧な季節がたまらなく苦手だ。柔らかすぎる温度と真昼間から充分すぎる湿気は自分と周りの空気の輪郭をあやふやにして、元からささやか程度にしかない覇気や思考がドロドロと音も立てずに溶けていく。

 

気付いたら冬の仄白さを抜けて鮮やかになったものを目にするようになり、それにまだ慣れない頭のなかでは音が鈍く響き続けている。なんていうかずっと生温い湯船に浸かっている感じで、妙にむず痒くてずっといるには心地が悪い。

 

 

 

でも多くの人はこういう穏やかな移り変わりに心が凪いだりするのだろう。毎年必ず来ると信じてやまないものがあったり、風の匂いですぐさっきまで隣にあった季節を偶然見つけ出したような気持ちになって口元が綻ぶ姿はとても綺麗だなと思う。

 

春になれば桜を見上げ散った花びらも忘れないようにと写真に収めたり、秋になれば数回しか着られないような絶妙な生地と色味を兼ねた秋服をちょっと暑すぎたな、と思いつつ少し浮ついた気持ちで着るのだろう。移り変わりを楽しみ そこにほんの少し希望を乗せられる人は温かい。

 

 

 

 

 

よく冬を超えれば必ず春が来るよ、と言うけれど春なんか来なくていいと思う人間はどれくらいいるのだろう?凍てついた寒さは時に頭をクリアにさせ春よりずっと生きている心地がする。虚無も哀しみも感じることが増えるけれどその分感情を置いてけぼりにはしない。

 

 

 

 

春はどうだろう。冬の寒さで固まっていた身体が解けてよく動くようになった事を自覚するのがきっと私は辛いのだと思う、周りも「よしやるか」と動き出す中で自分の心はずっと戸惑ったまま目だけをキョロキョロ動かしている。

身体や表情ばかりがゆるんで感情が追いつかない。春、そういうとこあるよな。

 

 

 

 

 

何かが始まることも始まらないことも苦しい事だ。春に起こる人身事故は何故かいつもより耳を傾けてしまうのもそういうことなのかな

 

 

 

 

 

 

そんな春にも今年は元号が変わるというちょっぴり異例なことが起きる。何かが始まってしまうのはやはり春なのか、という気持ちとそれが4月でなく5月からという少し変わった尺度に空虚な高揚感がある。ダブルスタンダードとはこういうことを言うのだろうか?

まあなんだか言葉にすれば大袈裟だが特に何も変わらない、その時私はきっとどうでもいいなと思いながらもその瞬間には大好きな人の曲を聴くのだ、平成の中に閉じこめられた人達を淡く考えながら5月を迎えようと思う。

 

 

そしてまた暑さが本格的に訪れる頃に、今の空気に囚われて思い悩むのだろう そういうことの繰り返し。生き辛くてもそれはしょうがない、この「しょうがない」は諦めよりも肯定だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

冬のクリアさが恋しいけれど、いろいろ溶かしながら慣れていこう。時間が経てばちゃんと浮き彫りになるといいな。

冬、平成、また遊びにきて。

 

 

 

 

 

 

 

 

3mg

 

 

 

 

 

今日1日、何も言葉を発さなかった。よく一日に喋る言葉の量は3000なんて言うけれどわたしは人と会話することがなければきほんずっと頭の中で自分と会話をしてる。独り言も少ない。だからなんだか感情がいったりきたりしていても、耳から入ってくる言葉はテレビから流れてくる笑い声とか、風が窓を叩く音とか、そういうものばかりで感情が揺れたりはあまりしない。

聞こえてくる音が平坦なものだと、心もそれに伴ってその場で気をつけをしている。だからきょうは無口な日だった。

でも、そんな日に限って夜になると気をつけの姿勢で疲れたのか、心のなかの足が痺れたりして倒れてしまう。なみなみに注いであった死にたい気持ちがぞろぞろと溢れ出てくる。

 

久しぶりに冷静さを欠くくらいまでパニックになって暗い部屋でしくしく泣いて切れ味の悪いかみそりでちょっとだけ腕を赤くした。今までの跡を濃くするようにそのうえから上書き。遺書まで書いてあとは飛び降りるだけだったんだけど、屋根の上に行ったら少し落ち着いてしまってイヤホンとたばこをとりにいった。

 

体感温度はそこまで冷たくなくて、街明かりはふつうだった。遠くの方で車が走る音が聞こえたりした。もう死んでしまった好きな人が吸ってた銘柄のタバコを同じように吸って、SUPER BEAVERの27を聴いた。

 

買った当時は上手くタバコが吸えなくて、むせたり喉に変なイガイガが残ってこりゃもうだめだって思ってたけど回数を重ねれば意外と吸えるようになった。

 

そしたら少し落ち着いてきて、涙で乾いた顔を叩いて布団に潜った。死にたいと思ってたことを自分の中で馬鹿にしたことはないからそこだけはうまくこれからも付き合っていこうと思う。また死にたくなったらあの人を思い出しながら外に出て吸おうかな。

 

そんないちにちの記録。

 

縋る

 

 

 

自分の言葉が嫌いだ

身体の中でうごめいてるものを無理やり手で掴んでそれが何かわからないまま文字に昇華ということの繰り返し。

言語化できない思いのほうがもっとまっすぐで大事にできるものなんだろうな、と思いながら私は何かに駆られる用に文字にする。もやもやしたものがたまらなく居心地悪くなって無理にでも形を作る。これは何だろう?

 

 

 

裏でコソコソ噂話しながら表では途端に表情を変える人をみると、私は何で人として生まれてきたんだろう?と思う

人間の両面性なんかいらないよ、と遠くを見ながら私は心の底でゆらめく怒りや憎悪や欲望をまるで知らないフリして私はあたかもそんなの持ってませんよ、という仮面を1枚つけて歩いている。

 

生まれてきた所を間違えたと言いながら、生きるのに大事なものがそんなものなのかと薄々気付いて辟易してそれでも必死に抗ったりしながらも、結局醜いのは私の方なのではないか?と目の前が一瞬で真っ暗になってしまう

 

純粋ってなんだ?綺麗ってなんだ。蒼いってなんなんだ。私が見る世界はもうこんなにも汚れきって腐敗したものばかりなのに。目を瞑って光を探ることに縋っているから無理やり言葉を探すのかな。これ以上見たくないものから目を塞いで幻想の光を描くこと。含みのない言葉はいつだって私を救ってくれるから、ああ、そうやって縋ってるんだな。

 

 

 

 

だから私が選択する言葉、ぜんぶきらい。したり顔してるのはどっちだったんだろう。汚く染っていること気づかないふりしているだけかも。そう自覚しながらも私はそれでも、それでも見えない光を追ってしまうんだろうけどね。

 

 

私が言いたいことってこんなんじゃないのに。こんなんじゃない。もっと言葉に染ってからさ、死ぬときくらい綺麗なままでいたいな。その繰り返し。

 

ね、早く死にたいなぁ。

 

20190309のユンギさんへ

 

 

 

 

 

 

27歳

 

3月9日

 

 

 

 

 

 

 

 

一の位がひとつ増えただけで彼を纏う空気が変わったように見えて、なおかつこんなにも愛おしく思えてしまうのかと不思議に思う。

 

 

 

そんな私とは裏腹に彼は30歳になったらどうする?という質問に、ただ30歳になるだけでしょ、と答える。

私は彼にとって数字はただの数字でしかないことがものすごく嬉しい。数年前の彼ならきっと一日というひとつの数字を重ねていくのさえ苦しかったはずだから。私にとって彼の年齢はとても大切だけど、彼にとってはどうでもいい位が幸せだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユンギさん、おめでとう。

 

 

書きたいことがたくさんあるはずなのに上手く言葉が出てこない。だからせめて感謝と祝福をを精一杯ここに残したい。

この文章は日本語で、きっと彼には届かない。それでも 今日という特別な日の欠片にこの文章がありますように、と願って書くよ。

 

 

 

 

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私は彼を好きになって半年位してから推し語りをここに書いた。

 

https://y0039.hatenablog.com/entry/2018/06/17/221339

 

 

文章は下手すぎるけどあの時はここに書いてあることが彼に対する気持ち、そして私が表せる彼の魅力の全部だった。そしてこれが私の基盤であることは今も変わらない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼の信念が好きだ。

きっと私なんかには触れることも許されないような核が奥底にあると思う。そしてその奥底にあるものを私は何だか分からないままじぃっと覗いている。

 

彼の今の気持ちとか、昔の曲に対する感情とかそんなのは一切わからない。普段の生活だって知らない。

それでも彼の背中から見え隠れする蒼く光るものに私は触れたくなる それは縋りとか救いを求める手とかじゃなくて単に惹かれるもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私を救ってくれる ”  “ あなたの音楽が導いてくれる” 半年前の私はそう思ってた。けどそれは同時に彼を偏った見方しかできないことを意味する。彼の脆い所ばかり手を伸ばして

「これがあなたでしょう」

と私の価値観の中に閉じ込めていた。そしてそんな貴方にこれからも私を救って欲しいと知らぬ間に縋っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼は変わり続けている

 

 

 

もしかしたら昔のような、AgustDのような曲はもう作らないかもしれない。

 

 

 

 

私が大好きなthe last で

「青春と引替えた俺の成功という名の怪物はさらにでかい富を求める、武器だった欲はかえって俺を飲み込み壊しながら時に首輪をかける」

 

と絶望と孤独を歌うけど

 

 

 

最近出たMagic shopで

「他人と比べるのが日常になって武器だった俺の欲は帰って僕を締め付け首輪となった、だけどさ振り返ってみたら実は僕は最高になりたかったわけじゃないんだ、慰めと感動になりたかった俺、あなたの悲しみとつらさをおさえたいんだ」

 

と新しい彼が過去の自分を抱きしめる歌を歌う

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてso far awayを作った時、

そのテーマが

“彷徨う青春に伝える暖かい慰め”だと聞いた

 

 

 

 

 

 

 

彼はこの時からどこまでも再生の歌を書いているんだな。

 

 

 

 

 

 

 

彼自身には大きな曲がらない夢があっただろうにこんな寄り添える歌詞をかけるのはきっと痛いくらいの優しさと強さがあって、決して弱さではない。そしてその先には誰かの幸せを願うあなたの創造があるからでしょう。

 

 

 

 

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あつく燃えるものだけを底に秘めて

彼は進んでいく

 

彼の残骸を拾った私は自分の骨にする

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だからどうか好きなように生きてください。

 

 

 

 

 

 

あなたが最後に歌うものが何なのか、そしてそれが何であっても私はずっと遠くから見つめていたい。変わらないものと変わってゆくもの、全てを見届けさせてほしい。

 

 

 

 

彼の海底に救われたのだから、今度は水面に光るものに触れたいと思うよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ユンギさん、お誕生日おめでとう。

そしてここまで生きて音楽を届けてくれてありがとう。

心より愛をこめて。

 

 

 

 

 

 

 

 

#윤기의_시작과_삶의_끝에_함께하리

ユンギの人生の終始を共に

 

#윤기_멋대로_살아_전부_니꺼야

自由に生きて、思うまま

(Twitterからお借りしました)

 

 

 

 

 

20190309  by0